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年末の天気予報によると正月の天気は悪いらしい。 そうかぁ…今年の初日の出は無理だなぁ と、言う訳で大晦日は友人達と飲みに出掛け 居酒屋で新年を迎えたのであります が、 翌朝目覚めると「晴れてるじゃん!」 どーゆーこと~? 少々酒の残った状態で実家へ行き お屠蘇で迎え酒です。 明けて2日 またもや良い天気 親戚周りの途中で初詣に行きました ここは「綾部神社」 日本最古の気象予報といわれている 「旗上げ神事」「旗下ろし神事」を行っている 神社なんですよ^^ その歴史は1000年以上前 951年から始まったらしいです。 7月に境内の御神木に旗を付けた 長い竹ざおを付け9月に竹ざおを降ろして、 旗の状態がどうなっているかで その年の天候を占うそうです。 科学的な根拠は良く判りませんが この綾部神社は福岡と佐賀の平野を隔てる 背振山地にある標高1000mクラスの背振山と 九千部山に挟まれた谷間 地形的に風の通り道なのです。 1000年もデーターを蓄積してきたのですから 統計学的に予測が付けられるのかもしれませんね |
![]() 2005年9月撮影 |
そして3日 結局、正月三が日は好天に恵まれました ダメじゃん日本気象協会! ・・・まぁ、良い方にハズレたからいいけどね^^ 今日は特に予定無いし、天気も良いし… これは走り初めでしょう!!^^ どこ行こうかなぁ~? 高速使って遠出してみようか… あ!でも正月の交通ラッシュ始まってるよな~ それに山の方は年末降った雪で 日陰が凍ってるかもしんないし そこで思いついたのが、去年の9月に 山の上からみつけた 大きなアーチ橋『朧大橋』です。 (徒然日誌26参照) あの辺りなら、行動半径の短いKDXでも 大丈夫だろうから 少々雪が有っても平気だな^^ それでは走り初め出発~っ!!=( ^^) |
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・・・と、その途中 通る度に、いつも気になるこの地名 長すぎないか? 『かんばらばらむかいやま』 R209、筑後市にある交差点の地名です。 |
そんなこんなで(どんなだよ?) やってきました『朧大橋』です。 おー、でかいなぁ まるで高速道路でも通っているかのようですが・・・ ![]() 何も有りません 国道も 県道も |
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山間の集落が点在する谷に この橋だけが“ど~ん”と存在しています。 一体何の為に作ったんでしょう? おいらぜんぜん知らなかったんですが この橋は2002年の春に完成していたようです。 |
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全長300m近いこのアーチ橋は 福岡県でもトップクラスの規模なんじゃないかと思いますが 完成して4年近く… バイクで走って気持ち良さそうな道の情報は どこからとも無く入って来るもんなんですがねぇ… |
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お決まりのパターンと言いますか… この橋の周辺だけ整備してあります。 公園なんか作っちゃって… しかもだ~れも居ないし なんかさぁ・・・ 道を通す目的で橋作ったんじゃなくて 橋作りたかっただけ なんじゃないのか? |
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谷を見下ろすと 急斜面に築かれた棚田や段々畑 そして集落 その集落を通る道は狭く曲がりくねった山道です。 |
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振り向くと・・・ 違和感たっぷりにそれは有ります。 ちなみに、『朧大橋』でググると 「非常に見栄えのする橋」 「細部まで丁寧に作られ、美しく整った橋」 「周辺環境との景観デザイン」 土木関係では多くの賞を取り 関係者はみんなベタ褒めみたいですね 確かに橋単体で見れば素晴らしい物だと思います。 実際、山の上から見た姿に惹かれて ここまでやって来たのだから… |
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で?この橋の目的は何なんでしょう? こんな記事も見かけました 標高三百五十メートルの過疎地区に、 都市との交流促進を図る大アーチ橋「朧大橋」の架設 交流…ですか? この橋は昔と変わらぬ山道の過疎地区を 跨いでいるじゃないですか。 構想通り快適な道が出来たなら、おいらはGSFでかっ飛んで 頭の上を通過するだけでしょうね… まぁ、それも随分と先の話でしょう。 橋を渡ってしばらく進むと道はプッツリと途切れます。 工事を進めてる様子も有りません 交流先の都市とされる久留米へ続く道への案内には 「この道はさらに細いです」と注意書きが有り 迂回路(!)とされてる道は 「地滑りにより全面通行止め」になってました。 景観との調和には気を遣ったのでしょうが 現実はどうでしょうね? この橋が出来て、集落の生活は変わったのでしょうか? 良くなったのかな?それとも… あ、お味噌と角島大橋へ行った時も書きましたね おいらは通りすがり、住んでる人にしか判らない事です。 |
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途切れた道の先からは、 昔ながらの細い山道を進んで見ました。 途中にあった神社を覗くと… 御神酒を囲んだ地元のおじさん達が 怪訝そうな顔でこっちを見てます(汗) 「新年早々なんか変なのが来たぞ」って感じで^^; でも「こんちわ~」と挨拶すると おじさんも笑顔で会釈してくれました なんだ、デカい橋なんか通らない方が 交流出来るじゃん^^ 写真は急斜面に作られたお茶畑。 ここ福岡県上陽町の山奥の事を 『朧大橋』について書かれてるWeb情報の中には “僻地” “過疎地”と表現されているようです。 |
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確かにこの辺りは山深いし、ウネウネと山肌に続く山道は 多くの時間を費やしても直線距離にすれば 僅かに進んだだけ。 山を削り、大きな橋を架けた直線的な道の建設は 魅力的な計画なのでしょうね。 天気も良いし、燃料もまだ余裕があります^^ さらに山奥へ分け入って林道を走っていると 途中に大きい溜池と案内板が有りました。 その案内板によると… 溜池の完成は大正時代、その目的とは 「粟よりも米を、の悲願を…」と書かれていました おいらの勤務先に、この地域出身の方が居ます。 ちょっと変わった苗字で、本人いわく 「平家の落人の末裔」 その話も納得できますね・・・ |
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そんな上陽町も麓に降りれば 町を流れる星野川に架かる石橋と、 初夏のホタルが有名な穏やかな町です。 この橋は『寄口橋』 2連アーチの大正9年に作られた橋。 この周囲は公園になっていて 初夏の夜にはホタルが舞っていますよ^^ 町内には他にも1連から4連までのアーチを持つ 石橋が架かっていて『ひふみよの橋』と 呼ばれているとか。 この『寄口橋』は『ひふみよ』の『ふ』ですね^^ |
![]() ここが『ひふみよの橋』の『よ』 4連アーチを持つ『宮ヶ原橋』 大正11年に作られた長さ46mの大きな石橋です。 |
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![]() 『宮ヶ原橋』の上から見た星野川 キレイに透き通った清流です ここには『朧大橋』で感じる違和感は有りません Web上でしきりに協調されていた「周辺環境との見事な調和」って一体…? CADも、構造計算するコンピューターも無かった時代 石工の棟梁が築いた見事なアーチ。 あのコンクリートの巨大なアーチ橋は この橋のように80数年経っても変わらず在り続けるのかなぁ? 本日の走行 約100km |
時代を超えて評価される匠の技って素晴らしいよね! ^^ |